東武特急といえば襟をただし、フォーマルに乗りたい電車だ。何よりも品を大事にし、その理性的なロジックで最高のもてなしを提供する。東武鉄道のもてなしは「豪華な設備」とかそういう次元の低い話ではなく「ポイント用のマルチプルタイタンパを導入した。ポイントだから乗り心地が悪いという言い訳はしたくない」と言い切るところだ。
そんな東武鉄道のフラッグシップといえば100系「スペーシア」。1990年製造で25年選手になる特急列車だが、その高い見識でデザインされた車両はいまだ、見劣りすることなく第一線で活躍している。
東武100系の白眉は何と言っても座席だ。特に個室の座席は日本の鉄道車両の中でも屈指の出来だと断言する。
まず、よい座席とは何か。座っていても疲れない座席というこたえはまあ正しい。では座って疲れない座席とは何か、すなわち体重を均等に分散して吸収してくれる座席だ。これを面圧一定という。
面圧一定にするための条件は何か。適切なトルソ角と適切な着座姿勢だ。まさか鉄道会社が着座姿勢を「こう座りなさい」と強制するわけにも行かないので「自然とその着座姿勢になるよう仕向ける」工夫が必要となる。
人間工学的な理想的なトルソ角は105度。実測したところスペーシアの個室席はその角度に極めて近い。背もたれの高さは740ミリなので腰を奥まで押し込んで座る形がいちばん疲れない。
腰を押し込めるにはどうするか。座面を下げることが大事だ。もちろんスペーシアはその点抜かりはなく、座面高さは400ミリと低い。座面奥行きは460ミリと標準サイズだが、座面幅はなんと660ミリもある。これはどういうことかというと、いちばん重さがかかる臀部の面圧が均一になるようあえて使わないであろう幅の座面にしている。
どういうことかというと、座席を作るときは両側に骨組みが来て、その中央にばねを置いて上を布地でかぶせるわけだが、当然その部分と座面中央ではテンションが異なる。できればフレームから離れて座るほうが面圧は一定する。100系の個室座席は中心に座れば左右に100ミリの余裕ができ、それだけ面圧が一定となるわけだ。いうなればこの座席、ソファを真面目に作ったというわけ。ソファだからもちろんリクライニングはしない。左右に幅があるから沈み込みを大きくとれ、その分足が手前に来ることでリクライニングと同等の効果を、トルソ角105度でやってのけている、とても頭のいい座席なのだ。
こういう座席が真の高級な座席というわけだ。リクライニングや転換を俺が「ごまかし」というのは座席のあり方に対して不誠実だからにほかならない。東武鉄道はこと座席に関してはたいへん誠実な会社(50000~50090型はまあ…その、なんだ)で、300型・350型や6050系など、固定座席を作らせるとこの上なくいいものを作ってくる。
ところで現在は撤廃されてしまった座席のオーディオサービス。はっきり言ってこんなものを取り付けるのは正気の沙汰ではない(ゆえに余裕がなくなった現在は撤去された)。なぜか。
スペーシアの座席は1編成で288席。このすべての座席にオーディオ設備をつけるとどうなるか。出庫のたびにすべての座席に係員が座ってチェックしなくてはならないのだ。こんな手間のかかる設備をつけてしまったのはバブル的な発想ゆえか。
閑話休題。そんなわけでスペーシアの個室は、引退前に一度は体験しておくべき座席だ。お金と時間がもったいないという御仁は、200円払えば東武博物館でその座席を体験することはできる。東武博物館には1720系の座席も保存されているので、両方の座席に着座し、東武鉄道の特急車両に対する誠実さを体感しておいて損はない。
さて、東武鉄道のすごいところは、豪華な座席を作りましたで終わらないところにある。その豪華な座席を支えるために車体の構造を吟味し、足回りを吟味する。その理詰めに作られたスジの通ったデザインは、見た目以上の層の厚さとしてその乗り心地に現れる。
「見えないところにお金をかける」ことを粋とする、東武鉄道の真骨頂だ。
まず、このクルマはいわゆる20メートル車。にもかかわらずオーバーハングが2,900ミリ。20メートル車のオーバーハングはおおむね3,000~3,100ミリあたりなので、つまりロングホイールベースのセッティングとなっている。オーバーハングが短いということは、台車間距離が長いということだ。そして台車間距離が長いということはそれだけ台枠のたわみが大きくなるわけで、その分台枠を強化しなくてはならない。すなわち重量がかさむ。重量がかさむと騒音は大きくなり特急車としてはエレガントではない。それでもなぜオーバーハングを2,900ミリとしたか。
直線区間での走行安定性を取ったからだ。ちなみに台車のホイールベースは2,300ミリとややロングホイールベースであることからも、日光線の線形をターゲットとしていることは間違いない。スカイツリーラインの浅草~北千住間や鬼怒川線はカーブの多い線系だが、どうせこの区間ではスピードを出さないと割り切った。賢明である。
さて、東武鉄道はヘビーなボディを大馬力モータでぶん回すような野蛮なことを嫌う。そこでアルミボディを採用し、鋼体重量を軽減した。さらにプラグドアなら戸袋を作らなくていいので強度が稼げて軽量化につながる。そんなこんなでロングホイールベースでありながら重量35.5~37.5トンの範囲におさめた。そして台枠を強化するに当たり、そのリソースを静粛性につぎ込むことで重量増加の免罪符とした。聞いて驚けその厚さ130ミリ。60ミリのフレームの上に70ミリの浮き床構造を作って、この空間に詰め物をびっしり詰め込むことで騒音を吸収してしまうのだ。
さて、このボディを走らせるにはどんなセッティングがいいのだろうか。特急列車の身上はシルキーな走り。こと走りに関してこだわりを持つ東武鉄道のフラッグシップとあれば、相当な吟味が必要だ。
理想は無段階変速。であれば電機子チョッパか当時ようやく普及し始めたVVVFインバータのどちらかだ。新技術の吸収に貪欲な東武はGTO-VVVFを選択する。しかし、GTO素子のVVVFはスイッチング周波数の関係で低速での磁歪音が耳障り。特に大電流を流すとそれは顕著だ。ではどうするか。
スペーシアではギアリングを加速寄りに設定し、モータの負荷を小さくする必要がある。結果ギアリングは5.31が選定される。先代のDRC、1720系が3.75だからまさに通勤電車なみのギアリングだ。これによって日光線の勾配区間も余裕を持って登坂できるので都合がよいが、今度は高速走行で問題が出る。
そらそうだ。ギアリング5.31では時速120キロ走行時に4,130rpmにもなる。そうなると定格回転数を高く取ったモータで余裕のある走り、つまり高速型のモータをあつらえる必要がある。というわけで、TM90モータは定格回転数3,330rpmというとんでもなくピーキーなスペックになった。
ところでTM90の重量は650キログラム。150キロワットのモータとしてはかなり重い。重いということは磁束数を増やし、鉄心を太くしたということだ。一見定格回転数が高いので低速側はスッカスカだから全Mにして高速側に全振りした。それゆえにギアリングも通勤電車なみの5.31。そう考えてしまう。
とんでもない。
化け物だこのモータ。低速からパンチの効いたトルクでぐいぐい加速し、定格3,300rpm/96.7キロまで定加速で加速して、あとは余力で120キロに入る。
信じられるか? そりゃスペーシアあれだけ出だしで唸るわけだ。これを仮に3M3Tで走らせたら高級も何もあったものじゃない。1両あたりの負荷を軽くするためにオールMは必然となる。走りも安定するし一石二鳥だ。
とはいえオールMでは電力消費が問題になりそうだが、別に激しいストップ&ゴーをスペーシアがする必要はない。ならば電流を絞って2.0キロ/秒の加速力で、しかもジャークをきかせて走ればなおいい。そもそも北千住~下今市間で45キロ以下に落とさなくてはならない速度制限区間なんて東武動物公園付近しかないのだ。
このように、東武100系は決してオーバースペックなのではなく、ただ1点、高級で高品位な走りのためだけに幅をを広く取り、いちばん美味しい部分だけを使うというセッティングで貫かれている。これはメカニズムもそうだし車内設備もそうだ。
もてなしとは何か。東武鉄道はそれを銀座東武ホテルとし、そのデザイナーであるロバート・マーチャント氏に任せた。ホテルのような高級な空間ではなく、ホテルを電車に移植したのが東武100系だ。そしてそのホテルを支える土台をこれまた誠実に、理詰めのメカニズムで答えたのが東武100系なのだ。豪華な座席を置いただけで終わりにしない。それを支える車体、それを支えるメカニズム、それを支えるインフラまで徹底的に追求する。座席という見えている部分を支える層がこの上なく分厚いのが東武鉄道の特急列車だ。
これを高級といわずしてなんといおう。
すべてのスペックは「快適な移動」の一点に集約されるそのデザインは、これ以上なく美しい。
その誠実さこそ、もてなしの心と言えなくはないか。
一度襟を正して、フォーマルに100系の個室で鬼怒川に出かけてみてほしい。