日本の鉄道は、インフラだけで言えば軽便鉄道レベルの貧弱なところが多い。なんといったって軸重16トンで「幹線」の日本に対し、アメリカじゃあ軸重30トンとか平然といってくれるし、欧州にしたって軸重20トンクラスは「あたりまえ」だ。軸重の許容が大きければそれだけ機関車列車であれば踏ん張りが効くし、電車列車であれば乗り心地の向上につながる。
曲線半径にしたって大陸の幹線でR300なんてのはそうそうないのではないだろうか。曲線半径がきついということはそれだけ速度や輸送力が落ちる。なにせ半径450メートルのカーブであれば10パーミルに相当する抵抗を列車は受けているのだから。
そして日本を代表する東海道新幹線も、高速鉄道の中ではもっとも貧弱なインフラであることは疑いないところだ。軸重は16トン、曲線半径2,500メートル。そして軽便鉄道並の複線間隔に狭い狭いトンネル。この軽便鉄道クラスの専用線路で世界の高速鉄道に伍して走るには、車両の側であれこれ工夫するしかない。こういってはなんだが、東海道新幹線の電車は、インフラがしっかりしていればしなくてもいい苦労をしているわけだ。
こんなに貧弱なインフラにもかかわらず、需要は旺盛ときているからたまらない。一体どんな電車を走らせれば正解なのか。JR東海も頭を抱えたに違いない。列車密度を高くするなら加速性能は高くなければいけない。一方で、カーブで速やかに減速し、カーブが終わったらすぐに加速するために、高速域での加速性能も捨てられない。
この無茶な条件に真正面から立ち向かい、答えを出した電車がN700系だ。俺は個人的に、N700系こそが日本が世界に誇る最高の電車であると思っている。そしてその性能は東海道新幹線に特化した、まさにガラパゴス的な美しい進化であると思ってる。いや、本当に高性能なんだが、世界のどこにも適用できないデザインなんだわこれが。
さて、速く走るには軽量化が大事であることは論をまたないが、ある一定の速度を超えると今度は空気抵抗に負けないパワーが必要となる。そんなとき軸重に余裕があれば、大馬力のモータを積んで力まかせに加速するという野蛮な方法も可能だが、あいにく東海道新幹線の許容軸重は16トン。そんな余裕はない。
したがって、軽量化の努力を怠らずなお高速性能を求めるなら、動軸を増やして一軸あたりの踏ん張りを軽くするしかないわけで、その結果14M2TというMT比になった。両端の先頭車がTでそのほかがMという構成だが、これは先頭車の場合荒れた路面を拾って適切なトルクを期待できない。であれば先頭の車輪は露払いに徹してもらって、残りの14Mでがんばってもらおうというコンセプトだ。実際先頭車というのは中間車よりも重くなる。であれば車体重量のバランス面から言ってもこの考え方は理にかなっている。
モータ出力は連続定格で305キロワット。1C4Mの並列接続。これをギアリング2.79で回している。N700径のモータ、TMT9は定格3,000rpm、ピークで5,720rpmだが、300キロ走行時の回転数は5,400rpm(φ820ミリ)。さすがのインダクションモータでもこれ以上の高回転はちょっと厳しいかな(60分定格とかでなく連続定格なのを忘れてはいけない)という感じだが、それでも2.6キロ/秒の加速力を出すにはギアリングをこのくらいにしないと厳しい。
それでも引張力はモータ1個当たり1,000キロ(つまり1両4,000キロ)は必要なわけで、その大馬力を保障するために、東芝が開発したコンバータは3,300ボルト/1,200アンペアを出力する桁外れの大容量となっている。だが、この大容量を持ってしても、余裕はあまりない。
仮にモータの端子電圧が一般的な1,100ボルト条件だと305キロワットなら定格277アンペア。これが1両4台ぶら下がっているわけだから1両あたりの電流は1,109アンペア。主変圧器の容量を目いっぱい使ってしまう。幸い新幹線は交流電化なので、電圧を上げることで(簡単に言うなよサマンサ)電流をいくらかセーブできる。ということで、N700系のモータ、TMT9の端子電圧はなんと2,300ボルト。これで1両あたり528アンペアとなって補助電源などにもすこし電気を分けることができるという寸法。それでもE7/W7系のように全席コンセントをつけるほどの余裕はない。
これだけ性能的にギリギリだと、後は徹底的に車両を軽くするしかないわけで、涙ぐましいまでの軽量化を施した結果、700系に比べて編成重量で8トンほど軽くなった。M車が2両増えているのに軽くなった。これは驚愕すべきところだ。もっともそのあおりを受けて客室窓がずいぶん小さくなってしまったが。
これでゼロ速度からの加速にはなんとかめどがついた。中間加速、特にR2500カーブからの立ち上がりはどうするか。いちばんいいのは減速しないこと、ということで車体傾斜装置を取り付けてR2500のカーブを270キロで突っ走るデザインとした。なんともプラグマティックな解決法! 車体傾斜はたかだか1度ではあるが効果は絶大。車体幅もその関係で3センチほど狭くする必要があるが、車内空間は狭めたくないということで車体強度の許す範囲で壁を薄くする。その結果剛性を保つために窓はずいぶん小さくなってしまったが、東海道新幹線の客層はビジネスパーソンが中心だ! やったね。彼らには車窓よりもノートパソコンの画面のほうが大事だ。
閑話休題。これで東海道新幹線を高速で突っ走る算段はついた。あとはシュバーンと長い流線型の先頭車をでっち上げれば……よくない。
東海道新幹線は旺盛な旅客需要に支えられている以上、定員が減ることは許されない。したがってノーズ長15メートルなどという贅沢は許されない。しかし限界まで軽量化した車両は力任せに空気抵抗を押し切るような力はない。そんな悪条件の中、微気圧波を一気に受け止めず、ピークを分散して受け止めるような形状を開発することで、10.6メートルという驚異的に短いノーズが完成した。しかしこれでも満足な短さではなく、先頭車だけシートピッチが狭くなったり運転台直後の客用扉を特注の形状にしなくてはならないなど、こなれていない部分もある。しかし、それを受け入れてでも座席定員の減少を良しとしなかったその意気は、東海道新幹線に関して言えば意地を張らなくてはならない部分だ。
N700系はJR東海が持てる技術を誠実に活用し、できるだけのことをしてデザインされた電車だ。車内設備やスタイリングにこれと言ったものはないかもしれない。新幹線という日本を代表する列車にしては華がないという人もいるかもしれない。
だが、ここまで読んでくれた奇特な人ならわかっていただけると思う。
N700系最高の華は、世界でもトップクラスの高性能であるということが。
さまざまな条件の下、誠実に技術を投入した結果、N700系というたいへん東海道新幹線を走る電車という命題に対する美しい解が求められた。それはまさに数式を解くが如く論理的で、痛快なのだ。
まあもっとも、この世界でも傑出した際立った高性能は、世界はおろか日本国内でも東海道新幹線以外ではまったく求められることのない高性能なんだけどな……。そういうところも日本的でいいじゃないかと思うのだ。